スポンサーリンク
スポンサーリンク

キャッチ&リリースは善か悪か|vs 京都のおじさん

釣り つぶやき
この記事は約8分で読めます。

前回、ザザ虫漁でいろんな生き物や人に出会ったことを書きました。
最後に登場した京都から移住してきたおじさんの話。

 

「ボクは釣りをする人が嫌いなんですよ。嫌いゆうか、軽蔑してるゆうてもいいくらい」

さっきまで歓談してたと思ったら、急に攻撃に転じたぞ。なんなんだ、このおっちゃん。
私は釣りをすると言ったつもりだったが、聞いてなかったのか、それとも敢えてケンカを売ってきてるのか・・・

「どうしてですか?」と尋ねると、
「遊びのために釣り上げてそれをまた逃がしてってやってはるでしょ。あないして、あれは生き物の命を冒涜してますわ、魚に痛い思いさせて」
(正確な京都弁になってないかもしれないけど、こんな語感でしゃべってた)
「私は釣った魚を食べますけども」いつも食べてるわけじゃないけど、とりあえずそう言ってみた。

「食べるために、自分が生活するために釣ってるのは、立派やと思いますよ。」
立派ってのはちょっと大げさだけど、どうやら食べるために釣るのは良いが、遊びで魚を釣るのはダメらしい。
「私は釣った魚を食べるけど、渓流に釣りに行った時は逃がすことが多いんですよー。源流の方まで行くと、魚の数自体が少ないから、みんなが釣れただけ全部持ち帰ってたら、すぐ魚のいない川になっちゃうから。私も軽蔑されちゃいます?」
とちょっと反撃開始(笑)

「こんな感じの川で釣りをしたり、キャンプしたりしてますよ」と、iPhoneで私のブログの適当なページを表示して見てもらった。
こういう時は、ブログをやっていると便利だな。言葉で説明するより、ブログを見てもらえばどんなことやってるか一目瞭然。

160610横川川10 

 

「ほー、こないなとこまで行って泊まって、魚焼いたりしてはるん。楽しそうやね」
「楽しいけど、真の真っ暗闇なんでちょっと怖いですけどね。オバケ出そうだし笑」

どうも詳しく話を聞くと、この辺りでで秋口に“にわかバサー”たちがブラックバスを釣っては、ボチャンボチャンと川に投げ捨て、また釣ってと繰り返しているのを見て、腹が立っていたそう。

確かに、ここは梅雨開け頃から秋までルアーマンが大挙している。
まぁ、見てればシロート同然のやつらだってわかるけど、魚影が濃いから釣れちゃうんだよね。釣れればなんでも良しって感じで、釣り方も魚の扱いもひどいもの。
入漁料も払わなければ、バス再放流禁止のルールなんかもちろん守らない。
私が見てたって、腹が立つ。

京都おじさんは、iPhoneを慣れない手つきでスクロールさせながら、ひとしきりブログ掲載写真を見た後、
「釣り人の中にもいろんな人がおるんやね」とややトーンダウン。
「えぇ、そうなんですよ。ここでブラックバスを釣ってる連中と一緒にされたらたまりませんよ
(注:天竜川でバス釣りやってる人の中にもまともな人はいますよ。まれに。)

どうやら私は無罪放免になったようだ(笑)

「ボクら京都の人間は頑固やから、納得いかんことには絶対に首を縦に振らんのですわ。
せやから、京都はずっとカクシン」
「カクシン?」
「保守、革新のカクシン。京都は32年間ずっと共産党の知事やったんですわ」
同じ人が32年もやってたら、すでにそれは革新じゃなくて保守じゃないのか、と思ったけどそんなこと言ったら話が長くなりそうなのでやめといた。今は自民党系の知事になっているそう。

キャッチアンドリリースについて考える。

世の中には釣り人を批判する人もいます。
その中には全く正反対の方向から攻めてくる二種類の人が存在します。

釣り人を批判する二種類の人たちとは。

その1:「無益な殺生はやめろ」と言う人たち。

「わざわざ魚を釣るなんて殺生をしなくても、食べる魚はスーパーで売ってるでしょ」と言うような人たち。「そんな残酷なことしなくてもいいのに、どうして釣りなんかするの」と。
こういう人たちは、自分が食べている魚や肉も誰かが殺してきれいに切って、それでスーパーに並んでるってことを忘れてる。
手を下すのは人任せにして、レストランで「このお肉はやわらかくて美味しいねー」などと言ってる方がよっぽど残酷だと思うんだけど。

こういうこと書くと、今度は「私は肉や魚は一切食べないので、言う権利があります。動物を殺して食べるなんて残酷です」と言うベジタリアンが現れたりする。
いやいや、野菜を始め植物だって生きてるよ。人間は結局他の生き物の命をいただいて生きているのだ。そこからは逃れられない。植物ならいいけど、動物はダメってのは単なる身勝手な意見に過ぎない。

確かに無益な殺生は止めた方がいいけど、自分で魚を釣って食べるのは無益ではない。その魚が自分の血となり肉となるのだから。

その2:「遊びで釣りをするなんて残酷だ」と言う人たち。

京都のおじさんはこちらのタイプ。
正直言って、この意見には論理的に反論するのが難しい。

私はもともと中学生の頃、餌釣りから釣りを始めていて、釣った魚は食べるのが当たり前だと思っていたので、小さいやつ意外は持って帰って食べてました。
その頃は家族7人で暮らしてたので、うまい具合にアマゴが7匹釣れれば最高だったけど、当時の腕前では半分に分け合って食べる程度しか釣れませんでしたが(笑)

今はフライフィッシングの世界に身を置くようになり、あまり魚をキープしなくなりました。

一般的に淡水のフライフィッシングはキャッチ&リリースが浸透しています。
その理由はいくつかあります。

フライフィッシングは、なぜキャッチアンドリリースなのか。

  1. 発祥である貴族の遊びをそのまま真似した。
    フライフィッシングは、イギリスの貴族が始めた釣りです。
    貴族の遊びだから、泥臭い餌なんか使わずに、魚との駆け引きを楽しむ。魚を食べるなんて生臭いこともしない。
    日本に伝わって来た時も、スマートで格式高い釣りというイメージで紹介されたんでしょう。ルアーと併せてスポーツフィッシングなんて言われるくらいだから、釣った魚を食べたりしない。リリースするのがカッコイイってことでしょう。
  2. 渓流の魚には限りがある。
    フライフィッシングは、実際にはいろんな魚が釣れます。海まで含めると釣れる魚種はほんとに多彩なんだけど、やはりメインターゲットは淡水の鱒類。日本ではイワナ、ヤマメ、アマゴ辺りになりますね。
    これらの魚が棲む場所は渓流。上流部にいくと、ほんとに小さな沢なんかだったり。
    常に水量豊富で再生能力の高い川ならそれほど神経質になる必要はないですが、釣り人が大挙して釣った魚を全部持ち帰ったら、すぐ魚が全滅しかねないような川も多々あるんですよね。だから、できるだけリリースすべきだという考え方。
  3. 私個人のもう一つの理由。
    梅雨明け以降になると、気温も高くなり、釣った魚を持ち歩いて鮮度を保ったまま持ち帰ってくるのが難しくなります。
    私はイワナやアマゴも食べますが、最高の状態で食べたいので、持ち帰るとしたら春先、後は渓流泊の時に現地で食べるくらいになります。

1については、貴族のルールを何も考えずに継承しただけなので、特別守るべき理由はありません。貴族のやることってスマートで格式高いっていうより、趣味が悪いと思うのは私だけでしょうか(^_^;)

2については、考慮する必要があると思います。
なんでもかんでも根こそぎ持ち帰る不届きな釣り人は論外だけど、仮にたくさん釣れてもキープは家族が食べる分だけで十分でしょう。そんなにたくさん持ち帰ってどうするつもり?
例えば天竜川漁協では『鱒類は15cm以下は採捕禁止』となってるけど、18cm以下、いや20cm以下にしてもいいくらい。それに、支流の場合はキープの匹数制限を設けてもいいと思う。

3については、せっかく食べるなら最高にうまい状態で食べたい、という私のわがままなので無視していいです(笑)

京都おじさんの批判は正しい。それでも私が釣りを続ける理由。

さて、例の京都おじさんの正しい批判から逃れるには、
例えば家族4人分、つまり4匹、ちょっと贅沢を許してもらって明日の分まで加えて8匹釣ったらそこで即釣り終了。
それ以上は遊びの釣りになっちゃうので、ダメ。無益なダメージを魚に与えるようなことはしません。
これならいいでしょう。完璧(笑)

でも、私はそこで釣りは止められない。やっぱりリリース前提で釣りを続けちゃう。魚を食べる目的で釣るんじゃないから、魚に痛い思いをさせることになっちゃうけど。

なぜ、そこまでして釣りをするのか。食べる意外の目的は何なのか。
うーん、魚が釣れるまでのワクワク、釣れた瞬間のドキドキ、それを味わいたいのかな。
大自然の中に身を置いて、細い糸一本を通して魚と戦うことによって、自分が大自然の中で生かされているということを自覚できる。自分が生きているって感じがする。
自分が生きるために、やはり釣りが必要だ。
釣りとは業の深い遊びだ、という批判は甘んじて受けるしかない。

フライフィッシングをやっている人に多いんだけど、キャッチアンドリリース至上主義の人っているでしょ。餌釣り師を敵対視している人。
釣った魚を食べるなんて以ての外って感じで、ブログやSNSで渓流魚を捌いている写真でも見つけたものなら、完全に罪人扱い。
最低限のルールやマナーを守っていれば、考え方は人それぞれで良いと思うけど、それを人に押しつけるのはいかがなものでしょう。

キャッチアンドリリースに限った話じゃないけど、自分が正しいと思い込んでいることも、たまには角度を変えて見てみると、物事の新しい側面が見えてくることもあるかもしれませんね。

今回は、京都おじさんの鋭い一言のおかげでキャッチアンドリリースについて改めて考える良い機会になりました。この件は今後も考え続けよう。

その後おじさんが、ざざ虫を捕っているところを見たいというので、ちょっと実演して虫の選別器の説明もしたり。
道具が合理的にできていることに、しきりに感心している様子だった。
それから琵琶湖の鮒寿司やら何やらと話は広がり、おじさんはまだ話し足りない様子だったけど、私も岸際ばかりにいては虫が捕れないので、歓談終了。護岸の遊歩道をよく散歩してるらしいので、また会えるかな。

おじさんはゆっくりと護岸を登り、
「ほな、おおきに」とこちらに向かって手を振った。
私も、
「こちらこそ、おおきにー」と少しおかしなイントネーションで応え、大きく手を振った。

コメント

  1. そのおじさんは何歳かな~、
    食糧困難な時代に食べる物もなく子供心に川え行き魚を捕って
    夕食のおかずにした頃の私たちは生きる為の魚捕りでしたね
    それが今に続き健康のバロメーターに成ってます
    おじさんは京都の生活が余ほど豊かだったのかな~。
    釣も文化で知らない方が—-と考えさせられます。

    • 釣りお爺さん、こんばんは。
      京都のおじさんは、定年退職してからすぐにこちらに移住したと言ったんで、60〜65歳くらいですかね。
      育った環境で人の考え方って変わりますね。環境はそれこそ千差万別なので、考え方も十人十色ってことでしょうか。
      人と話をするといつも思うのは、世の中ほんとにいろんな人がいるなー、ってことです(^_^)

  2. おはようございます。
    釣人界では、アヘテ触れる事を避ける傾向の、微妙なテーマをアップされましたね。
    間違いなく言える事はどちら派にしろ、「〇〇する人は軽蔑する」と言うのはおかしいと言うより、可笑しいですね。
    「嫌い」と言うのは勝手にしなはれで、どうでも良いんですが。
    自分は需要がある分だけを持ち帰って食べる派ですが、食べて美味しいサイズとなると自然と20㎝位からになるでしょう。
    とは言うものの、40年程前の貧乏学生時代に陸奥南部で食料として釣りをしていた頃は、小魚のカリカリ揚げも大好きでした。

    • マンボウさん、こんばんは。
      もしかしたらタブーに触れちゃったでしょうか。ブログ炎上したりして(笑)
      最低限のルールとマナーを守っていれば、あとは個々の考え方で良いと思うのですが、なぜか自分の考え方を押しつけてくる人がいるんですよね。
      私も、渓流魚は20〜25cmくらいのがうまいと思いますね。
      小魚と言えば、コメントもらっているkuniさんに教えてもらったチチブというやつ。これを二度揚げにして食べてみたら、かなりうまかったです(^_^)

  3. おはようございます。
    いろいろ意見の分かれるところですが、私も昔からの釣り人、魚をビクに入れるのが目的でしたからせっかく釣った魚をリリースする釣には疑問を感じたこともありましたね、フライフイッシングが流行りだして、本などにもリリースを推奨するような記事が多いのも事実です、どちらもいけない釣りでは無いので自分の好きなように釣を楽しめばいいというのが私の結論ですが、餌釣りは確かに釣れ出すとブレーキが利かなくなることが多いのも事実です、釣れなくなるまで釣ってしまう傾向はありますね、私は最近ほどほど釣れたら、毛ばりに変更する事で楽しむ釣りをしながら数を釣りたい欲求を抑えています。

    • ハックル70さん、こんばんは。
      漁協の定めた規則を守って、釣り人としてのマナーをわきまえていれば、あとは個々人でルールを作って楽しめばいいですよね。
      キャッチ&リリース、キャッチ&イート、どちらもやっている私は考え出すと悩むこともあります。
      渓流解禁も近づいてきました。なんだかんだ言っても、今年も渓流に通って楽しい釣りをしたいと思います(^_^)

  4. 私めなどは持って帰る気ないのにアマゴやシーバス引っ掛けて喜んでいる悪趣味野郎ということになりますが楽しいので仕方がない(笑)
    生き物虐待野郎との誹りは甘受してこれからも釣り続けよう。
    ちなみに水草水槽やっていると毎日ミリ単位で成長している植物の生命力に感動しますよ、植物の命を軽んじる奴は低能。

    • Nori1022さん、こんばんは。
      そうなんですよ。なんだかんだ言っても、釣りは楽しいんですよ。
      私と一緒に極悪非道同盟を結成しましょう(笑)
      私なんか、老後は100%キャッチ&リリースのヘラブナ釣りやタナゴ釣りをして遊ぼうなんて企んでるから、これ以上の極悪非道はないでしょう。
      水草水槽ね、さすがナウシカを観まくってるだけのことはありますね(^_^)
      植物にも命があるってことを忘れてる人って結構いますよねー。

  5. こんばんは。
    最後のオオキニで吹きました(笑)

    変な関西人に捕まったねー。
    いろんな人がいてはるけど、自分の考えが唯一の正義やと勘違いしている人とは議論にすらならへんね。
    共産から自民に掌返した理屈を聞いてみたいわ。
    自分かてカワセミとかヤマセミ専門で写真撮ってるなんて相当な変わり者やんか。
    人生は無駄の上に成り立っているんやでぇ。

    と、今回は関西弁バージョンでコメントしてみました^_^

    • 七流釣師さん、こんばんは。
      お、本場の関西弁ですね。ブログも関西弁で書いたら軽妙でおもしろいかも。
      私も二カ国語?しゃべれるようになりたいです(笑)
      自分が正しいと思い込んでいることも、時には角度を変えて見た方がいいのかもしれませんね。
      確かに、人生から“無駄”を省いたら、つまらないものになっちゃいます。
      あ、そうそう、カワセミの写真撮ってるおじさんは、京都のおじさんとは別人ですよ。カワセミおじさんとは、割と意気投合できましたよ(^_^)

  6. まぁ、この手の議論(と呼んで良いかは置いておいて)に模範解答はあり得ませんね。
    ボクも以前、ブログ上で似たような感じでオカシナ輩に絡まれて往生していたら、Noriくんがボクを差し置いて(笑)猛烈に怒って長文コメントで撃退してくれたことがあります。
    ヒトそれぞれだから何を考えようと自由ですが、自分の考えは自分の中で留めるのがベターでしょうね。
    それを絶対に間違えているとここで断言したら、ボクも同じ穴の狢になっちゃうから『ベター』という表現で抑えておくけど。

    • kuniさん、こんばんは。
      確かに答えが一つではことに対して、「こちらが正しい」なんて言い合いすること自体がナンセンスですよね。
      ともかく、自分の考えを人に押しつけるのは止めたいですね。
      ブログで絡まれたことあるんですか。kuniさんのブログに変なヤツに絡まれる要素なんて無さそうなのに。私のブログなら炎上しても不思議じゃないですけど(笑)
      Noriさん大活躍!頼りがいのある弟さんですね(^_^)

  7. 釣り場で見かけた不思議な人編、待ってましたよ。
    まあ人が生きて行くには環境(生物も含めて)に対して何らかのインパクトは与えますよね。
    線引きはヒトそれぞれですね。
    ああ、一度でいいから乱獲と言われるくらい数釣りがしたい、、、。

    • tamaさん、こんばんは。
      私はどうも不思議な人に出会う確率が高いようです。私自身が変人だからでしょうか(笑)
      これからも、不思議な人は続々登場すると思うので期待していて下さい。
      おっしゃる通りで、人間は生きているだけで自然界にインパクトを与えるのは否定できないですよね。おかしな考えを突きつめると、人間が生きていること自体を否定しなければになってしまいます。
      tamaさんもフライフィッシングをやってるんでしょうか。
      何の釣りであれ、自分なりのルールを作って楽しい釣りをしたいですね(^_^)

  8. こんにちは。
     自分もよく聞かされた話です。キープ派と言うかリリース否定派(或いは拒絶派)の方はリリース派の(ちょっと)人を見下した様な言動も、相容れない原因の一つに感じましたね。自分もリリース至上主義の人はキープ派を見下してるな、と思う事があります。
    まぁ、それぞれが皆、ある意味正論なので面白いです。

     以前「なぜ”古都”京都で革新系の首長が当選したのか」に興味を持ちました。社会学者の宮台真司さんが「保守には経済保守と地域保守がある(欧米ではもう一つ、宗教保守がある)」。富国強兵タイプの経済保守(自民党)と地域の文化や個性を大切にする地域保守は時に対立し(前者の地域振興を目的にした都市開発に対して商店街を残そう、町並み景観を残そう等)、その結果として反自民の候補が当選する、との説明を聞いて納得したのを思いだしました。釣り関係のブログでこれを思い出すとは・・・(笑)

    • 自営業FFさん、こんばんは。
      あぁ、その表現がピッタリです。私はリリース至上主義の人たちがキープ派の人たちを敵視していると表現しましたが、そう「見下している」感じがありますね、確かに。
      私は、今はキャッチ&リリースする機会の方が圧倒的に多いんですが、リリース至上主義の人たちがちょっと鼻につくのは、まさにその臭いがするからですね。
      経済保守と地域保守の話、とても興味深いです。なるほど、勉強になりました。よくわかります。
      最近釣りブログじゃなくなってるという噂もありますが、渓流解禁からまた釣りブログらしくなる予定ですので(笑)

  9. こんにちは
    今回のテーマは釣り人なら一度は通る道ですね。
    自分は小中学生でバスと渓流を成人してから堤防とヘラとフライフィッシングをやってきました。
    なのでキープもリリースもやってきた結論はやはり場所と魚の種類と総数で決まりました。
    現在はほぼフライフィッシングしかしてませんがリコプテラさんと同じ考えでキープ数制限と20cm以下制限に大賛成で+年管理の支流制限もあると良いしキープ数制限派ですね~
    漁業管理組合はヌルすぎです!
    車、高速道路、バイク、自転車、ネット情報、釣具、クーラーなどの発展と小型軽量化や普及率で昔とは釣り人口と技術が全く違うので管理保護と釣り人の意識改革が川湖池では必須だと思います。

    説得力ある批判は甘んじて受けますがフライフィッシングは自分の一部ですからやめるつもりは毛頭ないし一生ものですよね。
    フライフィッシングやキャンプ始めてからは環境保護に注視気をつけているので悪い事ばかりではないと信じています。

    • patriさん、はじめまして。
      コメントありがとうございます。
      同じような感性の持ち主の方に出会えて、うれしく思います(^_^)
      体長制限、今現在何を基準に15cm以下と設定されているか悩みます。16、17cmサイズは食べるのには小さすぎますよね。
      年単位で支流制限(禁漁)を設定するのはとても良いアイディアですね。私も賛成です。
      漁協は考え方がぬるいし、古いですね。2/2の記事にも書きましたが、個々の問題以前に仕組みや運営がグダグダです(^_^;)
      自分なりのルールを作って、お互いフラフィッシングやキャンプを楽しみましょう。

  10. ちょっとお遊びの釣りを批判されたから自己満足記事あげて楽しそうですね(^o^)

    • ぼんさん、初めまして。
      そうですねぇ、私はそもそも自分が満足するためにブログを書いていますので、自己満足と言われれば甘んじて受けるしかありませんが、
      「釣りの批判をされた」から「自己満足記事をあげた」というのは日本語としてちょっと意味がわかりません。「楽しそう」というのも真意がわかりかねます。
      「釣りの批判をされた」から「自己弁護の記事をあげた」ということなら少なくとも意味は通じますが。
      ぼんさんは釣りをされる方ではないのでしょうか。キャッチアンドリリースに対するご意見があるのであれば、遠慮なく書いていただければ議論ができると思います(^_^)

  11. 正直マス科の渓流魚をリリースするのは(´・ω・`)

    ウロコ落として内蔵出して、塩振って塩焼きでいくらでもご飯が進む進む(*‘∀‘)

    バスもそうだけどたいていの淡水魚は皮が臭いし、食うまでに一手間二手間あるから食わないだけで、態々おいしい魚をリリースするのは正直理解しかねる。

    あくまでも個人の主観だけど、渓流ってすごくきれいで、空気うまいし釣っててすごく楽しいし、自然の釣りだから注意することもいっぱいあるけど、その中で釣った美味しい魚をリリースするのが正直わからん。

    やはり食う目的で釣りをするフライマンは少ないのだろうか?

    フライもそうだけど、だます釣りは難易度がえさに比べれば高いから、やっと出会えた1匹はリリースするのが当然とまではいわないけど、食うまでに至らないのか。

    そこのところをフライマンに聞きたい。

    • 石焼き芋さん、こんばんは。
      一般的にはフライフィッシングをやっている人は、あまり渓流魚を食べない人が多いですね。理由はいくつかあると思いますが、一番の理由は良い悪いは別にして「フライフィッシングはキャッチ&リリースの釣り」という考えが根底にあるからだと思います。
      まぁ、釣った魚を食べる食べないは、個人の自由だとは思いますが。

      私はフライマンの中では変わり者なのでたまに食べますが、本文にも書いた通り普段食べないのはせっかくの魚を新鮮な状態で持ち帰れないからです。
      渓流泊釣行の時には現地で食べます。最高ですね!
      現地で食べるのは1、2尾もあれば十分なので、残りの釣れた魚は必然的にリリースすることになります(^_^)

  12. 食べるため?
    なら、人間に食べられるために殺された魚がスーパーに売ってあるのに、わざわざ釣りをする意味が分からない。
    それを買う金がないなら自分で調達するしかしょうがないと思うけど、金があるならスーパーの魚を買うべきだと思う。
    キャッチアンドリリースはもちろんだか、食べるためといいながら釣っている人も、どこか娯楽で命を弄んでいるということを自覚してほしい。

    • ブラックバスさん、はじめまして。
      コメントありがとうございます。

      いろいろな意見があって当然ですし、そういう考え方もわかります。
      私の考え方は少し違うんですよね。おそらく少数派だと思うし、他の人に押しつけるつもりはありませんが。

      人間は長い歴史の中でずっと、自分たちが食べるものは自分たちで獲るのが当たり前でした。狩猟や釣りだったり、野山で植物や木の実を採ったり。後に野菜を栽培したり。
      自分の食べるものをお金で買うというのは長い人間の歴史の中では極々近年の話です。
      生きるために狩猟をし、釣りをしていた原始の時代でもそれ自体に娯楽的要素もあったことでしょう。それ自体は悪いことだとは思いませんし、命を弄んでいるわけではないと思います。

      私もたまに自分で釣った魚をさばいて食べるので良くわかりますが、スーパーで切って売られている魚は実にもったいないさばき方をされて売られています。経済原理にのっとると、1尾の魚を無駄なく食べるなんていうことはしていられないからです。
      丸のままの魚を買ってきて自分でさばくなら良いと思いますが、そもそも魚の命を奪ったりさばいたりという面倒なことはお金で解決して人任せにしたいという消費者側の意識があるんだと思います。

      実際に自分で釣った魚を締めてさばいてみればわかりますが、この命を無駄にはしたくないし、無駄なくいただきたいと思うのです。
      確かにお金さえ出せば魚も野菜も買えますが、「他の生き物の命をいただく」という感覚が薄れてしまっているような気がします。魚にしても動物にしても、人間に食べられるために存在しているわけではありません。

      時には、自分で魚を釣ったり、山菜やキノコを採ったり、野菜を育ててみたりすれば大自然からの恵み、命のありがたさをあらためて実感することができると思います。
      0か100かという話ではなくて、もちろん私もお金を出して食材を買いますが、元々それら全てには命があって、それをいただいて自分は生きているということを忘れたくないですね(^_^)

  13. キャッチ&リリース、難しいですね。私は今はすべてリリ-ス派です。61歳になりますが20歳代から渓流でヤマメ、イワナを追っかけていました。最初はルア-釣り。面白いように数、型の良いものが釣れました。其の後フライフィッシングを知り又のめり込みました。ルア-釣りと比べると型はダウンしましたがドライフライにライズする魚に魅了されました。10年位で釣りを離れましたが60歳になり時間にゆとりが出来去年から再開しました。当時頻繁に通っていた渓流に行ったところあまりの魚影の薄さにびっくりしました。其の責任の一端は私にもあると思うのですが乱獲も一つの要因かと思います。釣れた魚は全て持ち帰るそんな釣り人が多いような気がします。特に餌釣り氏。解禁当初の水温の低い時期から片っ端から持ち帰る釣り師と何度か会っています。入漁料を払って体長制限を守っていれば漁協の規則に抵触することはないとは思いますが果たしてそれで良いのかと思います。海外ではライセンス制で体長制限は勿論、尾数制限もあると聞いています。

    • てんちゃんさん、おはようございます。
      私もルアーからフライに転向しましたが(今でもルアーはたまにやります)、ドライフライの釣りは他の釣り方にはない魅力がありますよね。
      私もほとんどはリリースですが、渓流泊する時にはイワナを塩焼きになどで食べさせてもらっています。
      餌釣り師の中に、根こそぎ派がいることは事実ですね。ルアーやフライはもともとキープする人が少ないですが、釣った魚の扱いが悪い人もいますね。根こそぎはもちろんやめてもらいたいですが、個人的には魚を釣って食べること自体は悪いことではないと思っています。節度あるキープならOKという考えです。
      私の地元天竜川漁協の規則を例にとると(大体どこの漁協も同じですが)、渓魚は15cm以下はリリースとなっています。この体長制限はかなり甘いですよね。
      私は20cm以下はリリースにした方が良いと前々から思っています。尾数制限も大賛成です。
      魚影が薄くなってしまった川が増えている以上、ルールをもっと厳格にして釣りを楽しめる川をみんなで守りたいですね。

  14. 自分も釣りをしますが、京都おじさんの意見に同感です。
    リリース全部が嫌なわけではなく、最初から何が釣れてもリリースする人が嫌です。
    小さいからリリースする、食べたい魚じゃないからリリースする…は特に問題と思わないから自分でも不思議です。
    目的も無く魚を傷つけて遊んでいる、ということになってしまうのが嫌なんだと思います。(釣った魚を食べるにしろ、遊んでいることには変わりはないんですが…)
    ただ、違法でもなく、マナーでもありませんので、人に強要するようなことはありません。自分ルールは自分だけで好きに守ってましょうという話ですね。

    • hinoさん、こんばんは。
      食べるために魚を釣る、というのが自然でしょうね。
      キャッチ&リリース派、キャッチ&イート派と言ってもそれぞれの中でもだいぶ考え方の違う人が混在しているので、一括りにできないところがあるんですよね。
      私が個人的に引っかかるのは、
      (1)魚を釣って食べている人を罪人であるかのようにSNSで叩いているキャッチ&リリース至上主義の人
      (2)自分と家族が食べられる分量以上に、なんでもかんでも大量にキープしてSNSで自慢しているキャッチ&イート派の人
      ですね。
      おっしゃる通りで、自分のルールを人に押しつけるのはやめたいですね。
      自分のルール以前の漁業規則や釣り人としてのマナーは守るのが当然ですけども(^_^)

  15. 子供の頃、キャッチアンドリリースは悪だと親に言われたのをそのまま受け止めていました。大人になって改めてキャッチアンドリリースとは何なのか気になり、ネットを検索していたらこちらにたどり着きました。

    ブログを読んで、勉強させてきただきました。
    その川、海、魚、環境を考えたときに必要な手段のひとつであること。釣り人それぞれが考えながら過ごしていること(全く考えない人もいるようですが)。それでもやはり業の深い趣味という点はわずかには残る事。

    魚を釣ることも、捌くこともしない私には、目の前の命に対して真摯に向き合うことが出来ること尊敬します。
    自力で獲物捕まえて食べるっていいですね。

    視野が広がった気がします。ありがとうございました。

    • 30代一般人さん、おはようございます。
      返信すっかり遅くなってしまい、申しわけありませんf^_^;
      読んでいただきありがとうございます。
      キャッチアンドリリースは、いろんな問題を含んでいるし、ひとそれぞれ考え方も違うんですよね。そして、絶対的な正解はないのかもしれません。
      一つだけ言えるのは、命あるものを自分で獲って食べることで、命のありがたみがわかることだけは確かです。魚釣りにはそんな側面もあります。
      何かを考えるきっかけになれば、とても嬉しく思います^_^

  16. 自分が生きるために、やはり釣りが必要だ。
    釣りとは業の深い遊びだ、という批判は甘んじて受けるしかない。

    そんな業を受け入れないでください。

    山で生きるために狩猟してる人が、生活や食べる分以外のイノシシや猿や鹿などを罠で捕まえて怪我させていたら世間にどう言われますか?
    あなたはどう思いますか?

    自分のペットがそういう扱いを受けていたらどうですか?

    釣りをしない人は釣りそのものを見るたびに、本当に胸が張り裂けそうなくらい辛く、それを許容している人間社会にとても絶望します。

    歪んだ暗黙の了解で許されている状況に甘えてそんな事をしないでください。

    食物連鎖の外の痛みを除外させてあげられるのは強い存在側。つまり人間だけです。

    避難から逃れるのではなく、楽しみたいという自身の欲から逃れてくださいよ。

    社会を本当に覆せるのは釣り人が考えを変えるしかありません。
    黒人差別や貧困層の飢餓問題と同じくらい心が辛い問題です。お願いします。

    • たなかさん、初めまして。
      コメントありがとうございます。

      たなかさんがどのように思われても自由だというのが大前提ですが、以下、私の見解としてお答えします。

      >自分が生きるために、やはり釣りが必要だ。
      >釣りとは業の深い遊びだ、という批判は甘んじて受けるしかない。
      >そんな業を受け入れないでください。

      最初の二行は確かに私が本文中に書いた文章の引用ですが、業を受け入れるとは私は書いていません。
      そういう批判があるのであれば批判を受け入れる、と言っているのです。
      そもそも、私自身は釣りが業の深い遊びだとは思っていません。

      >山で生きるために狩猟してる人が、生活や食べる分以外のイノシシや猿や鹿などを罠で捕まえて怪我させていたら世間にどう言われますか?

      まず最初に、山で生きるために狩猟している人は現代ではほぼいないと思います。
      世間にどう言われるかはわかりませんが、「生活や食べる分以外のイノシシや猿や鹿などを罠で捕まえて怪我させる」というのが、「意味もなく罠で捕まえて怪我をさせる」と同義であれば、良くないことだと私は思います。

      「生活や食べる分以外」と書かれているということは、逆に言えば田中さんのお考えでは「生活のためや食べるために」動物を殺すのはOKということですよね。
      「食べるために」はわかりますが、「生活のために」もOKだとすると生活のお金を稼ぐためにイノシシや鹿を殺して皮を売るのはOKですか?
      人間の生活のために害獣駆除と言って、鹿や猿を殺して穴に埋めているのはOKですか?
      さらには、世界には(日本にも)釣りをすることで生計を立てている釣りのプロ(バスプロなど)がいますが、彼らは賞金を稼ぐためやスポンサーから広告料を得るために魚を釣っています。食べるためじゃないです。生活のためなのでこれはOKってことですよね?
      釣具メーカーのテスターや雑誌に釣行記を書いて生活している人もいます。その人たちも生活のためにやっているのでOKですよね?
      もし、これらがOKであれば、同じことをしていてもお金を稼いでいれば良いけど、お金を稼いでいないならダメ、という全くおかしな結論になります。

      一方「生活のため」の部分を除外すれば、自分(またはその家族)が食べる分を釣るのはOK。
      それ以外、お金のための漁業もダメ。いや、漁業は最終的に末端の消費者が食べるためなんだからOKですか?
      いやいや、日本では今どれだけの食料が毎日廃棄されているかご存じでしょう。
      食べられずにただただ捨てられていく魚、それこそ私はとても悲しい気持ちになります。

      >自分のペットがそういう扱いを受けていたらどうですか?

      申し訳ありません、そもそも私は生き物をペットとして飼おうとは全く思いません。

      >釣りをしない人は釣りそのものを見るたびに、本当に胸が張り裂けそうなくらい辛く、それを許容している人間社会にとても絶望します。

      たなかさんがそのように感じるのはよくわかりましたが、「釣りをしない人は・・・」と釣りをしない人全てがそう思っているような書き方はいかがなものでしょうか。

      >歪んだ暗黙の了解で許されている状況に甘えてそんな事をしないでください。

      歪んでいると考えるのももちろん自由ですが、私はそう思いませんし、魚を釣ることは暗黙などではなく公明正大に認められているので何かに甘えているわけでもありません。ただ「釣りをする人が嫌いだ」という人がいるのは、「パチンコをする人が嫌いだ」という人がいるのと同様に理解できます。

      >食物連鎖の外の痛みを除外させてあげられるのは強い存在側。つまり人間だけです。

      やはり、たなかさんは「食物連鎖」以外で生き物にダメージを与えるのは全て悪というお考えなんですね。
      そうなると、魚を獲ってお金に換える漁業、動物を飼育してお金に換える畜産業も悪になりますね。
      その他、食物連鎖の外で生き物にダメージを与えている例は山ほどあって、例えば食べるためでもないのに花を切り取ってきて花瓶に生けて見て楽しむなんていうのは、田中さんの言葉を借りれば「胸が張り裂けそうなくらい辛い」ことですよね。
      動物だけでなく植物だって生きていますから、当然ですよね。

      >避難から逃れるのではなく、楽しみたいという自身の欲から逃れてくださいよ。

      『避難』ではなく『非難』だと思いますが、
      非難から逃れてはいません。ですから、冒頭の引用文通り「批判は受け入れる」と言っています。
      おそらく、たなかさんの目には、釣り人は魚をいたぶって喜んでいるようにしか見えていないんだと思います。
      釣り人にもいろんな人がいるので、中にはそういう人もいるかもしれません。
      でも、本当に釣りが好きな人はそうではありません。

      >社会を本当に覆せるのは釣り人が考えを変えるしかありません。

      たなかさんの文面を読んでいると「釣り人の考えを変えたい」というよりも「釣り人そのものを絶滅させたい」という感じですね。
      それとも、私が本文に書いているように、
      『例えば家族4人分、つまり4匹、ちょっと贅沢を許してもらって明日の分まで加えて8匹釣ったらそこで即釣り終了。
      それ以上は遊びの釣りになっちゃうので、ダメ。無益なダメージを魚に与えるようなことはしません。
      これならいいでしょう。完璧(笑)』
      これなら、釣り人の存在を喜んで認めてもらえるのでしょうか。
      私は、もしそういう規則になったのであればそれに従いますけれども。

      >黒人差別や貧困層の飢餓問題と同じくらい心が辛い問題です。お願いします。

      もしかしたら、たなかさんにとっては本当に同じくらい心が辛い問題なのかもしれませんが、今回の件とは全く別次元の問題を、あたかも同列であるかのように持ち出すのは、議論としては少しフェアではないと感じます。
      もし本当に魚釣りという趣味が社会的に大問題だと考えていて解決されたいのであれば、一個人の釣りブログに非難コメントを書くというようなやり方ではなく、ご自身でサイトを立ち上げ多くの人に訴え理解してもらう努力をされてはどうでしょうか。その方がはるかに効果的だと思います。

      全文を読み返しますと、たなかさんは釣り針に魚をかけてリリースすることと、哺乳流を捕獲して怪我を負わせることを同じレベルで論じられてますが、
      例えば、私がやっているフライフィッシングのバーブレスフックで魚をかけてリリースする場合の魚のダメージは、それほど大きくはないです。
      ダメージの大小ではなくて、魚に少しでも痛みを与えること自体が許せないというお話ですか。
      それでは、魚を手づかみや網で掬って捕まえ、また逃がすというのはOKですか。ダメですか。
      子どもが捕虫網で蝶々やトンボを捕まえて、しばらくカゴに入れて観察したあと放すのもダメですか。
      人間に捕まえられれば、捕まえられた側の生き物は多かれ少なかれ痛みやダメージを受けるでしょう。

      命ある生き物に敬意を払い、相手に与えるダメージを最小限にしつつ、自然の中で遊ぶのはむしろ良いことだと私は考えます。
      これは今回の件に限った話ではないですが、自然相手の話では白黒両極ではなくて、程度問題の話だと私は考えます。
      人間が生きていく限り大なり小なり自然環境に影響を与えます。その影響を常に頭の片隅に置きつつ、自然の中で遊び、共存していくのが私の目指す暮らし方です。

      たなかさんには、ぜひ、漫画『釣りキチ三平』を読んでいただきたいです。
      アニメ映画『風の谷のナウシカ』はご覧になっているでしょうか。こちらも見ていただきたいです。
      私の自然観はこの2作品の影響を大きく受けています。
      ご覧いただければ、世界の見え方が今までと少し変わるかもしれません。

      この度は、貴重なコメントをありがとうございました。
      たなかさんの人生がより豊かなものになることをお祈りしつつ。

  17. 魚は人に触られるとやけどすると聞いたことがあります。
    捕まえた魚を針から外すとき魚は熱くないのでしょうか。
    口に針が刺さったら人間は痛いですが魚は痛くないのでしょうか。

    • 匿名さん、こんにちは。
      魚を手で触ると火傷したような状態になるというのは、乾いた手でそのまま触った時の話です。
      渓流釣りで、手を川の水に浸けて十分塗らして(冷やして)から触る分には火傷の心配はありません。私が魚を触っている写真を見ていただければ、手を塗らした水中で体を支える程度しか触っていないのがわかると思います。
      私はフライにしてもルアーにしてもバーブレス(返しのない)のシングルフック(1本ハリ)を使っているので、基本的に魚に触れずにリリースできます。
      ただ、魚が体力消耗してすぐに自力で力強く泳ぎ出せない場合があるので、手で支えてエラ呼吸が安定するまで待ってから逃がす方が良い場合があります。

      大きい魚だと掛かる場所によっては痛みを感じない場合もありますが、多くの場合は痛みは感じると思います。
      それについては、上記、たなかさんへの返信に私の考え方はすべて書きましたので、そちらを読んでいただけると幸いです。
      コメントありがとうございました (^_^)

タイトルとURLをコピーしました